普通や常識という足枷
『常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。』
アインシュタイン
世間一般、普通、常識、レール。
それらに支配されているこの世界。
人々は心から幸せでしょうか?
どちらかというと文句や不満を多く感じて生きている人が多いのではないでしょうか。
常識や普通、世間の判断基準での優劣や良い人生、幸せというのはごくごく狭い世界の内側。
勉強ができない人は出来損ない
流行りのファッションやレストランを押さえるべき
結婚や出産は幸せ、しないと不幸せ
ブランド品やお金をたくさん持っている方が幸せ
ほんとうにそうでしょうか…。
違和感を無視して順応しようと頑張る必要はあるのでしょうか。
普通≒大衆 ですが、大衆は幸せそうでしょうか。
普通の価値観や思考回路は大衆を幸せにしているでしょうか。
普通にこだわっている限りは普通以上の幸せを掴めないのは当然かもしれません。
世間の誰かの人生ではなく自分自身の人生。
自分の頭で判断して、自分の幸せや心地よさを思いっきり追求していいはずです。居心地の良い場所を求めていいはずです。やりたい事をやるべきです。
それは同時に他人も同じ事。
すれ違う人もその人のいちどきりの人生を生きています。
袖振り合うも他生の縁と言いますし、せっかくならば人を笑顔にしたり楽しませたりして、良い思い出をつくるお手伝いができたらとても素敵なことではないでしょうか。
自分の価値観を尊重し自分の幸せを追求していくこと。
他人の価値観や人生を尊重しその人の幸せを願う事。
普通や常識を妄信せず、自分の幸せについて考えてみるのもいいかもしれません。